ホラクラシー導入で給与・評価制度はこう変わる?中小企業が直面した再構築の壁と乗り越え方
ホラクラシー導入における給与・評価制度の課題と中小企業の対応
ホラクラシーの導入を検討されている中小企業の人事企画担当者の皆様にとって、最も具体的な懸念点の一つが、従来の給与・評価制度をどのように変更するか、という点ではないでしょうか。階層構造や役職が存在しないホラクラシーにおいて、一体どのような基準で社員を評価し、給与を決定すれば良いのか。理論だけでは見えにくいその実務的な課題と、実際に中小企業がどのように取り組んだのか、成功と失敗の体験談を交えてご紹介いたします。
従来の日本企業における給与・評価制度は、職能資格制度や年功序列、あるいは職務等級制度をベースに、役職や個人のスキルレベルに応じて設計されていることが一般的です。しかし、ホラクラシーでは「役職」という概念がなく、組織は「ロール(役割)」と「サークル」によって構成されます。これにより、誰が誰を評価するのか、何をもって貢献とするのか、といった基本的な問いに対する答えを根本から見直す必要が生じます。
事例1:給与決定プロセスの透明化と納得感の壁
ある中小ソフトウェア開発企業A社(従業員約50名)は、ホラクラシーを導入するにあたり、従来の評価者による一律の評価を廃止し、給与決定プロセスの透明化とメンバー間の合意形成を目指しました。
導入前の課題
A社では、従来のトップダウン型評価に加え、マネージャーの評価スキルにばらつきがあり、一部の社員から給与に対する不満が聞かれることがありました。ホラクラシー導入を機に、社員一人ひとりの貢献度をより公平に反映させたいと考えたのです。
導入した制度と取り組み
A社が試みたのは、以下の要素を取り入れた給与決定プロセスです。
- 貢献度自己申告: 各メンバーが担当するロールやプロジェクトでの具体的な貢献内容を詳細に記述。
- ピアレビューの導入: 共に働くメンバー(同じサークル内のロールオーナーや協力者)が、互いの貢献度やパフォーマンスについて多角的にフィードバック。特に、各ロールの目的達成への貢献度を重視しました。
- 給与交渉プロセス: 自己申告とピアレビューを踏まえ、各メンバーが希望給与額を提示。サークル内で議論し、最終的にはリーダーリンク(サークル間の調整役)が全体最適を考慮しつつ合意形成を促す形式でした。
直面した困難と失敗
この取り組みは、当初の期待とは裏腹に、いくつかの深刻な課題に直面しました。
- 評価者の負担増大と質のばらつき: 全員が評価者となることで、フィードバックの質にばらつきが生じ、建設的な意見が出にくい場面が散見されました。また、多くのロールを兼任するメンバーは、フィードバック業務に時間を取られ、本業に支障が出るケースもありました。
- 不公平感の増幅: 給与交渉のプロセスが透明化されたことで、かえって「なぜあの人は自分より高い給与なのか」といった疑問や不公平感が表面化しやすくなりました。特に、目に見えにくい裏方のロールや、緊急対応に追われるロールの貢献が適切に評価されず、不満につながることもありました。
- 人間関係の摩擦: 給与というデリケートな話題をオープンに議論することで、メンバー間の関係に軋轢が生じることもありました。「あの人が自分の給与に口出ししている」といった疑念や、遠慮から本音が出せないといった状況も生まれました。
- 一部メンバーの離職: 最終的に、給与決定プロセスに対する納得感が得られず、会社を離れる選択をしたメンバーもいました。
乗り越えようとした試みと教訓
A社はこれらの課題に対し、以下のような対策を試みました。
- フィードバックガイドラインの策定: 建設的なフィードバックの書き方や伝え方に関するガイドラインを作成し、定期的な研修を実施。
- 貢献度評価基準の具体化: 各ロールの成果だけでなく、組織への貢献(例えば、サークル間の連携促進、知識共有の積極性など)も評価対象に含める基準を設け、具体例を提示。
- 段階的な透明化: 給与交渉プロセスを一度に完全にオープンにするのではなく、まずは評価項目とプロセスの透明化から始め、給与額自体の開示は段階的に行う形に変更。
- リーダーリンクの役割強化: リーダーリンクが、給与交渉のファシリテーションスキルを磨き、意見集約だけでなく、各メンバーの納得度を高めるための対話を促進する役割を強化しました。
A社の経験から得られた教訓は、給与・評価制度の透明化は諸刃の剣であり、制度設計だけでなく、それを運用するメンバーの意識とスキル、そして組織文化の成熟度が不可欠であるということです。
事例2:成長支援とフィードバックの難しさ、その克服
次に、Webサービスを運営する中小企業B社(従業員約30名)の事例です。B社はホラクラシー導入後、従来の目標管理制度(MBO)に代わる評価制度の構築に腐心しました。
導入前の課題
B社では、これまでの目標管理制度が形骸化しており、個人の成長実感や組織貢献への意識付けが弱いという課題を抱えていました。ホラクラシーによって個人の自律性を高め、各ロールのオーナーシップを促す中で、どのように成長を支援し、適切なフィードバックを提供していくかが大きな論点でした。
導入した制度と取り組み
B社が導入したのは、以下の要素を含む「継続的フィードバックと成長支援システム」です。
- オンデマンドフィードバック: 特定の評価期間に限定せず、必要に応じていつでも、誰に対してもフィードバックを要求・提供できる仕組み。ツールを活用し、フィードバックの履歴を蓄積。
- ロールオーナーによるフィードバック: 各ロールの遂行状況については、そのロールのオーナー同士や、関連するロールを持つメンバーが直接フィードバックを行う。
- 定期的なキャリアチェックイン: 従来の1on1ミーティングに代わり、数ヶ月に一度、キャリアコーチ役のメンバー(専門スキルを持つ者や外部コーチ)が、特定のロールに縛られず、個人のスキル開発やキャリアビジョンについて対話を行う機会を設ける。
- スキルマップの可視化: 各メンバーが持つスキルや習得したいスキルを明示的にし、ロールの割り当てや学習機会に活用。
直面した困難と失敗
B社もまた、この新しいアプローチで予期せぬ困難に直面しました。
- フィードバックの質の低さ: 「いつでもフィードバック」の文化が根付かず、形だけのコメントや、逆に感情的な批判に終始するケースが見られました。建設的なフィードバックを行うスキルが全メンバーに備わっているわけではないため、混乱が生じました。
- 成長実感の希薄化: フィードバックが多すぎて情報過多になったり、具体的な行動に結びつかない抽象的な内容になったりすることで、かえって成長実感を得にくいメンバーが出てきました。
- 「責任のたらい回し」問題: ロールが細分化される中で、誰が個人の「成長」に対して最終的な責任を負うのかが曖昧になり、結果的に「誰も責任を負わない」状況に陥るリスクがありました。特に、パフォーマンスの低いメンバーへの対応が課題となりました。
- 特定のロールへの評価集中: 成果が直接的に見えやすい特定のロール(例:営業、開発)にフィードバックや評価が集中し、組織全体の土台を支える管理系やサポート系のロールへの注目度が相対的に低下する傾向が見られました。
乗り越えようとした試みと教訓
B社はこれらの課題に対し、以下のような改善策を講じました。
- フィードバック研修の強化: 「SBI(Situation-Behavior-Impact)」など、具体的な状況・行動・影響を明確にするフィードバック手法を全メンバーに浸透させるためのワークショップを定期的に開催。
- メンターロールの設置: 形式的なキャリアコーチングに加え、特定のスキルや経験を持つメンバーが、希望する後輩メンバーに対して、非公式なメンターとしての役割を担うことを推奨。
- 「成果」と「プロセス」の評価軸明確化: 単にロールの目的達成度だけでなく、そのプロセスにおける協調性、学習意欲、課題解決への貢献といった「ホラクラシー的な行動規範」も評価軸に組み込み、フィードバックの際に言及するよう促しました。
- ロールの見直しと統合: 責任の所在が曖昧になりがちなロールについては、定期的に見直しを行い、必要に応じてロールの統合や権限の再定義を行うことで、適切な「オーナーシップ」が発揮されるよう調整しました。
B社の体験談は、ホラクラシーにおける評価は「誰が誰を評価するか」よりも「何に対して、どのようにフィードバックし、成長を促すか」に焦点を当てるべきであり、そのためには、フィードバックのスキル教育と、具体的な行動を促すための仕組みが不可欠であることを示唆しています。
まとめ:ホラクラシーにおける給与・評価制度再構築への示唆
ホラクラシーを導入した中小企業が給与・評価制度を再構築する際、既存の枠組みにとらわれずにゼロベースで考える必要があります。しかし、それは決して容易な道のりではありません。
- 「正解」は一つではない: 各社の文化、事業内容、メンバーの成熟度によって最適な制度は異なります。他社の成功事例をそのままコピーするのではなく、自社に合わせた試行錯誤と改善が必要です。
- 透明性と納得感の両立は難しい: 給与や評価の透明化は、時に人間関係の摩擦を生んだり、不公平感を増幅させたりするリスクを伴います。安易な透明化ではなく、何のために透明にするのか、どの範囲を透明にするのかを慎重に検討し、段階的に進めることが賢明です。
- コミュニケーション能力と心理的安全性の重要性: フィードバックや給与交渉がオープンになる分、メンバー一人ひとりのコミュニケーションスキル、特に建設的な対話を行う能力が求められます。また、安心して本音を話せる心理的安全性の高い組織文化がなければ、制度は機能しません。
- 失敗を恐れず、改善を続ける姿勢: 完璧な制度を最初から設計することは不可能です。導入後の試行錯誤の中で、予期せぬ課題や失敗は必ず発生します。それらを失敗としてとらえるだけでなく、貴重な教訓として受け止め、データに基づきながら継続的に改善していく姿勢が、ホラクラシー型組織での給与・評価制度を成功させる鍵となるでしょう。
ホラクラシーの導入は、組織構造だけでなく、人事制度の根幹にも大きな変革を求めます。人事企画担当者の皆様が、これらのリアルな体験談から学び、自社の状況に合わせた最適なアプローチを見つけるための一助となれば幸いです。